本荘公園の齋藤彌太郎さん

ずっと気になってた本荘公園にいる斎藤彌太郎さん。
石像に本荘公園寄贈って書いてあり、
寄贈??
本荘公園って個人の持ち物だったの?と、ずっと疑問でした。
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先日、わりと天気良い日に本荘公園に遊びに行きました。

修身館ではひな街道の展示があり、
その時に本荘公園の歴史みたいなものが分かればいいなと思っていました。
分かりやすくかいてあるのものがありました↓↓↓
子どものおもちゃになってしまい若干くしゃくしゃになってしまいました。
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現在の齋藤彌太郎(1868-1953 明治元年-昭和28年)さんは、
由利正宗や雪の茅舎が有名な石脇にある齋彌酒造の創業者で、
本荘町長を何度か務めた方です。

廃藩置県(明治4年)以後、旧本荘城地(現本荘公園)は
陸軍省のものとなり、「報旧社」という団体から
明治34年に旧本荘藩主・六郷政鑑(ろくごうまさあきら)へ献上されました。
本荘町(いまのいう由利本荘市)では六郷さんから本荘城跡地を借りて
公園にしようかな~と思っていたところ、

政鑑死後に財産として受け継いだ孫が
昭和10年に大仙市の三浦さんへ売却してしまいます。
他郷の人には渡せないよ!いかん!!と思った当時の本荘町町長であった斉藤彌太郎さんが
昭和15年に自己資金と協力者の力を借りて、
大仙市の三浦さんから土地すべて買い戻し、そのまま本荘町へ寄付しました。
石像はその功績をたたえて昭和38年に建立されました。
もとはいまの本荘公園の石段をのぼったところにおいてありましたが、
現在はこどもたちが遊ぶ遊具の脇、尾崎小側へ移動しています。
2020年現在、本荘公園の石階段をあがったところに移設されています。
というわけで、
いま私たちが本荘城跡地を公園として利用できるのは、
齋藤彌太郎さんのおかげだったんですね~。

この辺の小学校では、こういった地域のことについて
まとめて発表する授業があるようで、
子どもたちも知る機会がかならず来るそうです。

せっかく住んでいる場所のこと、もっと知りたいなぁと思いました。